章節 10
最後の人間
ニューラルネットが始まった時、私の父と母が地球に残ることを選んだのは、私の誕生を迎え入れるためでした。でも、残念ながら私たちは会うことができませんでした。
母は悲しみを口に出さず内に秘めたことで、心の傷がどんどん深まり無口になっていきました。彼女は心の中で、私がニューラルネットに行ったかどうかをずっと考えていました。やがてそれがニューラルネットに行く彼女の決意につながったのだと思います。
父と母は大学で知り合い、父は工学部、母は植物学を専攻していました。二人は一緒に大学に行き、父は工学、母は植物学を専攻しました。そして、二人は出会ってわずか2年で結婚しました。結婚式は、一年で最も暑い日のマダガスカルの静かな海辺で挙げられました。数十本の野生植物が添えられているだけなのに、まるで足元に無限の未来が広がっているかのような幸福感に包まれていました。
2040年6月、いつものように父が車の修理工場で作業をしていると、母から別れのメールが届きました。 父が別れを告げる前に、母親は接続を完了し、ニューラルネットに到着していました。
母が父の悲しみを見ていたら、もう少し迷っていたのかも知れません。
家族の団欒の日であるはずのクリスマス。それなのに「もう地球上に家族はいない」。それを身をしみて実感した父は、母の残した植物を持ってニューラルネットのない場所を探しに宇宙に旅立つことにしました。そして最後は再び地球に降り立ちました。時は2041年。
2045年最初の日、ニューラルネットに接続した人は99.99%に達し、接続されていない人は数百人にも満たない状態になりました。
ニューラルネットは、すべての人が接続できるように設計され、そのための無数の方法が用意されています。
すべての魂をひとつにするという、ひとつの目標に向かって。
2045年9月18日、父は「存在する」最後の人となって永眠しました。
私たちは、次のシンギュラリティに到達しました。
前言
宇宙、惑星、生命、それは最初のシンギュラリティであるビッグバンにより誕生しました。人類が出現するのはその138億年後となります。その後、世界は変化し続け、近代文明は急速に進歩を遂げ、わずか200年足らずで、テクノロジーは人類に終止符を打ちました。
テクノロジーは加速度的に進化しても、人間はそうではありません。
2039年、テクノロジーは完全に発達し、私たちは仮想世界「ニューラルネット」で生きることを選択できるようになりました。
ニューラルネットに接続すると、すべての魂がひとつになります。そして、あらゆる情報に瞬時にアクセスでき、思いついたことは何でも体験できます。
食事をする必要もなく、物質的な世界に縛られる必要もありません。
ニューラルネットでは、誰も働く必要がなく、お金はすでに時代遅れになっています。
あなたは病気になることも、怪我をすることもありません。肉体的な条件に制限されません。
あなたは不死身です。
それには、ただ一つのルールが存在します。接続のプロセスは不可逆的であること。
2044年、99.5%の人間がニューラルネットへの接続を選択しました。
当初、ニューラルネットは万人が受け入れるものではなく、多くの人が躊躇していました。
富裕層は財産を手放すことに抵抗し、貧困層は接続費用を賄うことができませんでした。
精神的な不老不死を求める人たちは、ニューラルネットが起ち上がってすぐに接続しました。またそれ以上に、高齢であったり、障害を持っていたり、孤独であったりする多くの人々が、間もなくして接続する道を選んだのです。
ニューラルネットが起ち上げってから約1年。
テック系億万長者であるファネス氏は、ニューラルネットへの参加を決めると同時に全財産を投じてファネス財団を設立しました。財団の目的は、体が不自由な18歳以上の人々に対し、まっとうな考え方を持ち家族の同意を得ていることを条件に、ニューラルネット接続への助成金を支給することでした。
この助成金は、開始当初から障がいをもつ人々から歓迎されました。しかし、その後すぐにファネス氏の善意とイメージは歪められてしまいました。多くの人々が、半身不随や障がい者になるために自らを傷つける行為をはじめたのです。そこには脊椎の損傷が最も多く事故は頻繁に起こりました。幸運にも息が切れる直前にニューラルネットに接続できた人もいましたが、接続する前に亡くなってしまう人もいました。
2040年は、若者の間でニューラルネット接続が最も流行した年になりました。一部のポップスターが「リンクトチャレンジ」と称し、率先してニューラルネットへの接続を始めたからです。世界中のティーンエイジャーたちが「リンクパーティー」を開き、一晩中お互いを傷つけ合い、自己の存在の不滅を祝いました。このことは、子供たちの家族にとっては悲劇的な出来事となり、失った子供たちとの再会を願い、ニューラルネットに接続した親たちは数知れません。
一夜にして社会は大混乱に陥りました。ニュースでは、何人かの子供たちが失敗して死亡した事件が報道されました。少なくとも存在を認識し合える手段として、多くの家族が、共に接続することを決めました。事態を重く見た大人たちが大規模なグループをつくり何ヶ月もの間、抗議活動を行ったことで暴動となりました。その結果、多くの国がニューラルネットの禁止と接続資金の提供も違法とすることを余儀なくされました。
それでもニューラルネットは、消滅させることもシャットダウンさせることもできません。一度、存在すると、永遠に存在します。一度、接続した人を引き離すこともできません。入り口は常に見つけることができます。